ゆりこんぐのブログ

主にゲーム、読書、好きなことをゆったり、時に熱く。お暇な時に読んで頂けると嬉しいです。

かなしいいきもの

この頃は人間を人間とも思わないような事件が多くて、気分が塞ぎがちなゆりこんぐです。

せめて大好きなドラクエ10くらいは楽しい気持ちでプレイしたいけれど、こちらの世界も同じような人間の「生まれ持った悪意」だとか「醜さ」みたいなものをまざまざと見せつけられる事が多くて・・・。

参っているというわけではないけれど、少し疲れているのも事実です。

昔から精神的に弱い部分があるのか、そう言ったものを自分の内側に入れすぎてしまうというか、引っ張られてしまうというか・・・。

自分の感情くらいコントロールできればいいのに・・・、と自分の未熟さを不甲斐なく思っている今日この頃です。

 

お久しぶりな投稿の上に精神的に不安定な部分もあるので、いつも以上にとっちらかった、「えっと、ごめん。何言ってるかよく分からない」内容かもしれませんが、最後まで読んで頂けたら幸いです。

 

よく、「ネット(オンラインゲームとかSNSとか)の世界は顔が見えない」と言われます。

顔が見えないからこそ、本音を吐き出せる場所でもあり、その場所が誰かの「救い」になることも多々あります。

心が悲鳴を上げているけれど、「辛い」って言えない時もあるから。

 

誰も知らない場所で、全部は分かってはもらえないかもしれないけれど、ポロっと零した言葉を、顔も知らない誰かが、拾って温めてくれる事もある。泣いてばかりいられないから、心に溜めた涙を、そっと拭ってくれる事もある。

 

わたしはそういう優しい世界もあるんだよってことを信じていたいし、信じていた部分がありました。ネットの世界が全てではないけれど、誰かの「救い」になるような場所であってもいいよねって。そうだったらいいよねって。

ドラクエ10 もそう。そういう場所だったらいいなぁって。

 

けれども、このところ同じ人間を簡単に踏みつけたり、傷つけたり、「どうしてそんな酷い事ができるの?」というような事が多くて・・・。

 

顔は確かに見えないし、声も聞こえません。

実際に会った事もないし。

ほぼ他人です。

その人に何かあったところで、地球は通常営業です。

わたしが(縁起でもないけれど)今ここで死んだって、世界はつつがなく回っていきます。

 

でも、同じ「生きてる人間」なのです。それは、スクエニ社が作ったドラクエ10 という「ゲームの中に生きる人間」という意味ではありません。

「SNSの世界で生きている人間」でもありません。

2021年の8月を生きる、同じ人間なのです。

大切な誰かの為に働くお父ちゃんお母ちゃんかもしれないし、「いい事なんて一個もない」と思いながらも毎日歯を食いしばるようにして学校に行ってる学生さんかもしれないし、頭が禿げ散らかるくらい悩みながら働く誰かかもしれない。まさに戦場のような病院の中で命懸けで働く人かもしれない。

顔は見えないかもしれないけれど、確かに今、生きている人間なのです。このどうしようもない世界で、心をすり減らしながら、それでも明日を信じて生きてる同じ人間なのです。

 

どうしてそう言った人たちの心だとか気持ちを踏み躙る事ができるのかわたしには分からない。それこそ通り魔殺人のように。

 

同じ人間の悲しさ、涙、心の傷、そう言ったものには酷く鈍感でいられるのに。

どうして顔も見えない誰かの「いいね」には敏感でいられるのでしょうか。

顔も見た事もない声も聞いたことのない人達の「拍手」の音は聞こえるのに。

どうして同じ生きている人間の「心の叫び」は聞こえないのでしょうか。

 

わたしはそのことがたまらなく悲しく感じるのです。

 

「いいね」がどれくらいつくとか、ブログのアクセス数が伸びるとか、動画の再生数が伸びるとか、そんな事よりも、もっともっと大事なことがあったはず。

そんな事でしか満たされないものってなんなんでしょう。誰かを悲しませてまで欲しいものってなんなのかな。

 

顔も知らない声も聞いたことのない誰かの「拍手」に耳を傾けるその前に。

顔も知らない声も聞いたことのない、でも現在を生きる誰かの「悲鳴」に耳を傾けて欲しい。

ほんの少しでもいいから。

 

そうやって少しでも誰かが誰かの事を思いやったり、慈しんだり、温め合うことができたなら。優しい心や言葉で満ちた世界になると思うんだ。優しい世界になるって、そういう風に世界を変えていく力が人間にはあるって、わたしはまだ信じていたい。