ゆりこんぐのブログ

主にゲーム、読書、好きなことをゆったり、時に熱く。お暇な時に読んで頂けると嬉しいです。

理想論みたいな夢物語みたいな、希望にもならない祈りでしかないのだけれど

今からわたしは理想論みたいな夢物語みたいな、

「そんな綺麗ごとだけじゃ、どうにもならないでしょう、現実を見なさい」

と言われてしまいそうなことを書きます。

こう言う実態を伴わない事を言ったり書くのは好きじゃない。

安全な場所から自分の命を脅かすこともなく、発信する言葉になんの力もないからだ。

だけれども、アメリカ人だからとかイラン人だからとか、日本人だからとか中国人だからとか韓国人だからとか、そんなことは関係なく、この空を繋ぐ世界は一つであると、そうであって欲しいという希望のような願いのような、ささやかな祈りみたいなものです。

わたしには難しいことは分からないし、今世界で起きていることの何が正義で誰が悪いとか、そういう事を言うつもりはありません。

ただ本当に祈りみたいなことです。

 

人と人が1人の人間として出会った時、垣根のない優しさや思いやり、愛情を掛けることは思ったほど難しいことではないと思います。

でもそこにーーー、人と人の間に「集団」というものができた時、途端に難しくなる。

集団というのは、例えば、国家だったり、宗教だったり、人種だったり、歴史だったり、思想の違いだったり。言葉の違いだったり。

 

「集団」というものが人と人の間に深く昏い川を作る。

その川は、誰かの血でできた川だ。

涙でできた川だ。

銃弾でできた川だ。

哀しい川だ。

 

誰かの泣き声や叫び声、怨みの声が聞こえる川だ。

 

1人の人間として出会えたのなら、友人になれたかもしれないのに。友人になれたかもしれない人間同士で殺し合い憎しみ合う。それが「当たり前のこと」果ては「正義」になってしまう。

 

でもいつか、その川を繋ぐ橋を、他でもない我々人間が作れるんじゃないかと、その橋の真ん中で、同じ1人の人間として抱きしめ合い、語り合うことができる日が来るんじゃないかと。

 

そういう日が来る事を、わたしは祈ってやみません。

 

見上げた場所で空の色は違うけれど、この空が繋ぐ世界はひとつだと、いつか橋を掛ける日が来ると、来て欲しいとわたしは祈りにも似た気持ちで願っているのです。