その日、100点をあげられるとしたら
人間生きてれば辛いことだってありますよ。
むしろ、自分の個性を根こそぎ否定されちゃうような、「なんかもう立ってられません」て思うようなことばっかりですよ。
常にポジティブでいる必要なんて全くないんだと思う。
教科書に書いてあるような、自己啓発本に書いてあるような、「いい子ちゃん」でいる必要は全くないと思うんですよね。
そういう発言ばっかりする人って、どっちかって言うと、信用できないと言うかなんと言うか。反吐がでると言うか。
「ハイハイハイ!!ポエマー乙!カレンダー目指してるんですカァァァァァァ!?」
て思うし。(ひねくれ者すぎる)
おめえはスティーブ・ジョブズかよ!って思っちゃうし。
イヤ、スティーブ・ジョブズの事はよく知らないけれども。
どこかの成功者が作った言葉なんかじゃなくて。そんなスーパーマンにしかできない事じゃなくてさ。
あんたの心で作った言葉をちょうだいよって思うんですよ。
拙い言葉であっても、自分が感じた事なら誰かに響く事ってきっとあると思うんだ。
耳障りの良いペラペラの中身のない言葉なんかじゃなくて。
例えば。
朝起きるのが辛いとか。
なんでこんなに遅くまで働かなくちゃいけないの、とか。
わたし頑張ってるのになんでとか。
時間が全然足りないとか。
こんなん何も楽しくないとか。
何の為に生きてるのかわかんないとか。
そう言う悲鳴みたいな言葉を見ると「コイツも頑張ってんだな」てわたしは思うのさ。
悲鳴をあげながらも、毎日がむしゃらになんとか生きてるんだろうって思うのですよ。
生きてて、キラキラしたことなんて、何一つないですよ。でもそれでも生きてるんですよ。
誰かを守るためとか。自分を守るために。
明日はちょっとは笑えるようにとか。
なんかそう言う普通の事の為に。
毎日、愚痴ってばかりで、マイナスな事を言っちゃう人はそれはそれで「コイツめんどくせっ」とはなりますが、でも。
キラキラした自分を演出するために、思っても無いような事を言っちゃう人よりも全然好きだけどな。良い人ぶってマナーとか正論とか押し付けちゃう人よりも。遠回しな「わたし頑張ってるでしょ」アピールする人よりも。
他人の悪口とかは・・・傷つく人がいるのでダメだとは思うけど。
生きてれば、心のバランスが崩れちゃって、誰かを傷つけるような事を言ってしまったり。
誰かを不快にさせるような事を言ってしまったり。
思うようにならないことばっかりで。
まぁ色々ありますよ。
でもその色々を押し殺して全部隠して笑ってる必要は全く無いと思う。
悲しいとか。
淋しいとか。
辛いとか。
なんかそう言うマイナスな気持ちを表現する事って「ネガティブ」に捉えられがちだけども。
わたし自身、そう思っていて、つい我慢してしまうこともあるけれども。
そしてその誰のためにもならない「我慢」こそが美徳だと思われがちだけど。
本当はそんなこと無くてさ。
悲しい時にはみっともないくらい泣けば良いし、ムカついた時は喉が枯れるくらい怒鳴ったっていいし。キッズかよって思うような事をしちゃってもいいし。
そうやってその時々の感情というか自分を拾ってあげないと、あとから後悔しちゃうんだよね。
消化不良のまま、悲しみとか怒りみたいなのがずっと残ってしまう。
誰かを許せる時が来ても、許せなくなっちゃうよ。
その日の自分に100点をあげられるのも0点をつけるのも自分しか居ないから。
だったら自分が思いっきり100点をつけられる事をしてあげた方がいい。
100人の人が100点をつけてくれても、自分が0点だと思っていたら、そんな100点は虚しいだけ。
ちゃんとできない自分とか、ネガティブな自分とか、そういうものを「NO」って思う必要は全く無くて。
ちゃんとできないのも自分だし、ネガティブなのも自分だし。
でもそんな自分で明日も生きていくから。
いつか100点をあげられる日が来たら、それで良いよね。
今それができなかったとしても、苦しんで苦しんでどうにかこうにか今日を生きたなら。
きっと、いつか100点をあげられる日が来るよ。