ゆりこんぐのブログ

主にゲーム、読書、好きなことをゆったり、時に熱く。お暇な時に読んで頂けると嬉しいです。

汗顔の至り

たまに、それこそ気が向いた時に、自分が書いた過去の記事を読み返してみたりする。

 

・・・

 

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・・・ ・・・ ・・・

 

ナニコレ。ヤダコレ。

 

めっちゃんこ恥ずかしい!

まさに、汗顔の至りとはこのこと。

 

わたくし、赤面症・・・とまではいかないけれど、恥ずかしかったり、「ぎゃ〜〜〜やめてくれー!」とテンパってしまうと、顔が真っ赤になっちゃうんです。頭頂部はダラダラと嫌な汗をかいてしまうし。背筋もビショビショに・・・。(クサ!)

恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にする余裕もなく、そっとスマホを閉じましたとも。

全削除しなかった自分の根性だけは褒めてあげたいと思う。(あつかましいとも言う)

 

過去の「カンチガイ記事」の数々・・・。

 

文章(にもなってない何か)がへったくそすぎて、何を言いたいのかよくわからない・・・、それでいて、天を衝く程の上から目線な姿勢・・・。

(文章がヘタクソすぎるのは今も変わらずなのがちょっとした悲しい事実。)

なんでこの人、こんなに偉そうなんだろう・・・。

と過去の自分に幾度となく問うております。

猛省しております。

 

恥ずかしいよ!何が恥ずかしいって、「ゆりこんぐ」という存在自体が恥ずかしいよ!恥の極みだよ!こんなに恥ずかしい人間だったなんて、わたしも自分で自分にびっくりしているよ!人生とは驚きと発見に彩られているんだなぁ。

 

恥の極みって、なんていうんだろう・・・この「恥ずか死ぬ」感じ・・・ぴったりとした言葉が見つからない。恥を極めたから極恥?

 

ナンダロナー!

ナンダロナー!!

ナンナンダロナー!!!

 

わたしがこんなカンチガイをしてしまったのには色々と理由がある。

1番の大きな理由としては「調子に乗りやすいこの性格」なんでしょう。

 

今までコソコソ好き勝手に書いていて、たっまーーーーに、「ブログ、面白かったよ」とありがたいお言葉を頂いたりしたんですね。

(本当にたっまーーーーにだけれど、とっても嬉しかったです。カンチガイしちゃうけど、そういう言葉嫌いじゃないっていうか、大好きなんで、もっと言って!!)

 

そうして、そんな言葉の数々を、「落ち込みやすいけど調子に乗りやすいから、実は立ち直りも早い、端的に言ってちょっとバカ」なわたしはストレートに受け止め、舞い上がってしまったのです。

普段ひねくれてるのに、変なところで素直な自分が恨めしい。

 

社交辞令だから!

建前と本音は分けるのが社会人のマナーだから!

咳エチケット並の・・・人間としてのなんかそういうアレなやつだから!

 

あぁ・・・「なんかそういうアレなやつ」を真に受けてしまった自分が・・・恥ずかしい!

 

くっそー・・・。

 

でも、不思議と「もう辞めよう」とは思わないんですね。

(ちょっとは思った方がいいのかもしんない!)

「こんなこと書かなければ良かった」

とも、思わないのが不思議なのです。

 

 

「うっわぁぁぁーーーーちょう恥ずかしい!こんなこと言っちゃってる、恥ずかしい!カンチガイの数々□○△$@#%」

とは思うけれど、形はどうあれ、「好きなことがある」というのは尊いことだと思う。豊かな事でもあると。

 

今までのわたしは、(今もそういうところは多分にあるけれども)

 

『ちゃんと』できていないと意味がない。

意味のないことはするべきじゃないし、言うべきでもない。

 

って、思っていたんです。

なんて狭っ苦しい考えなんだ!

 

でも『ちゃんと』ってなんなんでしょうね。

どこまでが『ちゃんとできている』で、どこからが『不完全』なんだろう。

 

『ちゃんとできない』からやらないって、一見、真面目に見える。けれども、その奥底に見え隠れするのは「自信のなさ」。

 

『ちゃんとできない』ことでも、「上手にできないけど、好きなんだよね」って言えるだけのまっさらな気持ちがなかったんだよね。

カッコつけて取り繕う事ばかり考えちゃう。

 

ちゃんとできてないのに好きって恥ずかしくない?ダッセー。

 

って言われるのが、怖かたんでしょうね。

顔も見えない、声も聞いたことのない人から「どう思われるか」なんて、本当はどうでもいいことなのに。

 

心ない一言に傷ついたり、悲しい想いをするのは、嫌だし、一向に慣れることなんてない。

平気になることなんてないけれど、最近思うのは、

「もっと自分が『好き』って思うことを楽しんだらいいんじゃない?うまくいっても、いかなくても、カッコ悪くても、自分が楽しい方が好きだなぁ」

ということ。

 

こんな簡単で当たり前なことに気付くのに、こんなにも時間が掛かってしまった。

でもきっと、わたしにはそのことに気付くのに、それだけの時間が必要だったんだ。

 

何かを始めるとき、「本当にできるか」ってことを考えるのも大事だけれど、考えすぎないで、「わたしはこれがしたい。だって好きなんだもん」て。

そんなふうに一歩を踏み出すのも大事なことなのかもしれない。