鹿の王
上橋菜穂子先生著「鹿の王」、読了致しました。
2014年刊行だからー・・・、5年前!?
5年前・・・、わたし何やっていたんだろう。
人生と世の中を舐め腐っていたような記憶だけはあります。
あの頃に戻れるなら、それこそ本の角でフワッフワの頭を引っ叩いてやりたい。
わたしに読書の楽しさを教えてくれたのは父親です。
この父親が最近、入院してしまいました。
(今は退院して娑婆の生活をエンジョイしております。)
彼の大好きな海外ドラマも、愛してやまないアメフトも、TVゲームもない、釣りにも行けない、まさに牢獄のような入院生活。
(こうやって書き出してみると、彼は意外にも多趣味なのかもしれない)
せめてもの慰めに本くらいは買ってやろうと、久々に本屋へ。
父親が好きそうな本を物色していたら、目に飛び込んできた「上橋菜穂子著作」の文字。
「守人シリーズ」ですっかりその世界に魅了されてしまったわたしは、当初の目的も忘れて、とりあえず「鹿の王」文庫本版2巻まで購入。
1巻だけ買って
「おもしれぇ!続き・・・、続きがああああ・・・!」
俗に言う「続きが気になって夜も眠れない病」に罹らないように、保険を掛けて2巻まで買ったつもりだったのに・・・。
2巻を読み終わる頃には、
「え!?どうなっちゃうの!ここで終わり!?続き・・・、続きがあああ!!生殺しやめてーーー!!」
というわけで、そのまま本屋まで走り、結局4巻まで買ったのでした・・・。
とにもかくにも、文句なくストーリーが面白い。いつのまにか物語の世界に入り込んでしまう。(没入感とも言う)
ページを捲れば捲るほど、匂いや温度まで感じられる世界が広がっていて、いつしかわたしも主人公達と一緒に旅をしている気分にーー。
今回の旅は、辛く苦しい、哀しみを知る旅でもあり、同時に「希望」を感じる旅でもありました。
上橋先生の書く「希望」はいつも胸が熱くなるんだよなぁ。
キラキラ輝く嘘くさい夢物語じゃなくて。
傷ついて傷ついて、傷つけて、泥や血に塗れて、たくさんの涙のその先にようやく見つけた、でもささやかな「希望」。
キラキラ輝くことはないけれど、傷だらけの人の胸にそっと灯る明かり。
小さな明かりだけど、それさえあれば、前に進めるような力強いもの。
だからいつも最後は泣いちゃうんだよ。
涙で文字が見えなくなってしまう。
でも続きが読みたいというジレンマを抱える羽目になる。
物語をほんのすこしだけ紹介しようと思います。来年(?)映画化もされるそうなので(ほんと?)興味のある方は是非。
病で妻と子供を喪った主人公ヴァン。奴隷として働いていた鉱山で奇妙な山犬の襲撃に遭う。山犬達の襲撃後、鉱山では正体不明の病が蔓延。病を克服したヴァンは、同じく生き延びた赤ん坊のユナと旅に出るーーー。
旅の途中でヴァンは何度も問う。
病に罹らぬ人もいるのに、なぜ。
自分の愛した者たちが、なぜ。
長く生きることができる者と、長く生きられぬ者が、なぜ、いるのか。
長く生きられぬのなら、なぜ生まれてくるのか。
いつかは死んでしまうのに、なぜ人は生きるのか。
その問いの答えが、ラストシーンに詰まっていて、胸が震えました。
最後は涙が止まりませんでした。
やっぱりね、最後は泣いちゃうんだよなぁ・・・!
人が生きるということ。
人を絶望に追いやるのは、悲しいけれど同じ人間であるということ。
同時に、絶望の淵に落とされた人の心を癒すのは、同じく人間であること。
人と人が出会うということ。
出会った先で生命を繋ぎ、次の世代に紡いでいくこと。
生命を繋ぐっていうのは、何も子孫を残すってことだけじゃない。
誰かと誰かが出会って、交わした言葉、想い、一緒に過ごした時間、何気ないやりとり。
日々の暮らしの中で、見過ごしてしまいそうなささやかな時間。
でもそれら全てにその人の「生命」が詰まっている。
そうして、一緒に過ごした時間や想い出、記憶と共にその人の「生命」が受け継がれていくんだろう。
父親がわたしに読書の楽しさを教えてくれたように、誰かから誰かへ受け継がれていくものってあると思うの。
血の繋がりがあってもなくても、誰かから誰かへ。
そうやって巡り巡ったものが誰かの希望になるといい。
そんなことを本気で思えるくらい力強く、素晴らしい作品でした。
きっと何回も本棚から引っ張り出しては読み返すんだろうなぁ。