伝統のドラクエ、進化するFF
どうやらドラクエ10は7周年を迎えるらしい。
先日、そのお祝いに花火のイベントがあったそうだ。
何気なしに開いたTwitterで知った。
ほとんどの人が「7周年おめでとう!ずっと続いて欲しい」と呟いている。
わたしは「7周年はおめでとう!でも終わるならそれもいいかな」という気持ちを抱いている。
ドラクエブログなんぞを細々とやっている割には、冷めたものである。
積極的に、「ドラクエ10?終わっちまえよ」とは思わない。
サービスが終了したらしたで、それは寂しいし、ちょっと悲しい。
でも、ドラクエ10そのものがしがらみとなって、新しいものが生み出せない、そんな状態なのであれば、終わってしまって構わない。むしろガンガン終わろうぜ、である。
今のドラクエ10は、新しいコンテンツを追加するか、エンドコンテンツを追加しなければ盛り上がらない状態だ。
(どのゲームそうなのかもしれないが)
でもそれも、限りがあるだろう。
過渡期に来ていると思う。
だったら。
無理やり続けるくらいなら、いっそ清々終わらせて、新しいドラクエ、もしくは全く違うゲームを開発してほしい。
それに、新しい世界を見てみたいのだ。
ポンコツではあるけれど、ささやかなドラクエファンとしてはね。
新しいドラクエを見てみたい。
ドラクエはどのシリーズも「良くも悪くもドラクエ」なのだと思う。
黒い色のウィンドウに白色の文字。
はなす
どうぐ
さくせん
つよさ
のコマンド。
くだらないお使いイベントから主人公の世界がひっくり返って、様々な場所を旅し、冒険し、かけがえのない仲間と出会い、船を手に入れ、新しい世界に行き、最後に世界を救う。
良くも悪くもドラクエなのだ。
堀井さん
鳥山先生
すぎやん
この三人が作ったドラクエ。
(それ以外のたくさんの人が関わっているというのはここでは置いておく。話がややこしくなるので。)
でも、人間は無限じゃない。
有限なのだ。
どんなにすごい人でも、才能を持った人でも、いずれ終わる。
忍び寄る老いには勝てない。
果たして、この三人が全くドラクエに関わらなくなったとき、(もしくは悲しいけれどいなくなってしまった時)シリーズは続くんだろうか。
はなす
どうぐ
さくせん
つよさ
のコマンドがなくなったとき。
住人のタンスを開けても皮の帽子が手に入らなかった時。
そもそも、そんな概念の通じないゲームに進化した時。
果たして、我々は受け入れられるんだろうか。
こんなのドラクエじゃないよ!!つまんない!!
と、ユーザーは離れていかないだろうか。
対して、FFはどうだろうか。
(同じ会社から出ているゲームなので比較されやすいが、個人的には全く別のゲームだと思っているし、それ故に比較対象にはならないと思っている。)
新しいシリーズが出るたびに、Amazonのレビューには「こんなのFFじゃない!!」「わたしのFFは終わりました」「もう2度とゲームを出さないでください」とアンチコメントが吹き荒れる。その割には、新しいシリーズが出続ける。
不思議なゲームである。
常に「新しいシステム」「新しい試み」を模索しているような気がする。
その試みが成功する時もあれば、失敗する時もある。
受け入れられない人もいるだろう。
ただ、形を変えて続いていく、という意味ではFFの方が強いような気がするのはわたしだけだろうか。
この世の中にあるものは、全て変化し、進化し(時には退化する場合もある)、そして終わる。
永遠はないだろう。
時々、こんな人を見かける。
ドラクエの中の人間関係が全てのような人たち。
そこで生活することが全てのような人たち。
そこに依存してしまう人たち。
人間の生活する場所は、そこじゃないんだ。
そこじゃないんだよ。
そんなところで、自分をたくさん飾り付けたって。
そんなところで、たくさんの「いいね」を貰ったって。
そんなところで、「いい人」「可愛い自分」を演じたって。
いずれは終わる世界なのだ。
生きていかなきゃいけない場所は、画面の中じゃ無い。
クソみてえな仕事のために、めっちゃ早起きして、クソみてえな同僚に挨拶して、アホの権化みたいな客や上司に頭を下げる。
そんな場所が、それでもやっぱり生きる場所なのです。
そんな場所で、クタクタになるだけ頑張って、時々友達に会ったり、家族に癒されたり、誰かに助けられて、自分の小ささを知ったり。
必死で駆け抜けてたら、いつのまにかできることが増えていて。それを見た誰かが褒めてくれたり。
大好きなゲームだから、終わらないで欲しい。
それはわかる。
大好きなゲームの中で、出会った人がいる。
それもよくわかる。
わたしもいろんな人に出会ったよ。
わたしに形はどうあれ、「書くことの楽しさ」を教えてくれた人がいる。
その人とはドラクエをやらなければ出会えなかっただろう。
わたしに大切なことを教えてくれたその人は、空の上に逝ってしまったけれど。
わたしは今もこうして、その人が教えてくれた事を続けている。
でも、思うんだよ。
自分の生きる場所で、ちゃんと生きられない人間だったら、きっと出会えなかったんだろうって。出会えたところで、いい関係は築けなかったんだろうと。
世の中には信じられないくらいいい人もいれば、悪い人もいる。
民度が高い人もいれば、その逆も。
アストルティアが格別にあったかいわけでも、いい人で溢れてるわけでも、民度が高い訳でもない。
現実社会と同じなだけ。
いい人と巡り会えることもあれば、どうしようもないやつと遭遇してしまう時もある。
あったかい人もいれば、冷たい人もいる。
でもそれは、どこにいっても変わらない。
ドラクエをそこまで信じることができるなら。
そこまで美化できるなら。
現実社会で悲鳴を上げながらもなんとか生きてる自分を信じてあげればいいのに。
たかがゲーム一つ終わったくらいで、揺らぐような価値じゃないだろう。