チャット
わたしはフラワーガーデンに住んでいる。
ここを選んだ理由は、そこそこ田舎であること。
そして、旅人バザーが家の目の前にあること。
たったこの二つの理由。
その二つの理由で住み慣れたジュレットからこの土地に引っ越した。
ハウジングも何もしなかったジュレットの家。
殺風景な家だったけれど、そこそこ思い出もあり、引っ越すときはなんだか感慨深かった。
黒くて大きな家がある。
新しく住み着いたフラワーガーデンの住宅村の方だ。
新しく住み着いたといっても、わたしがここにきてから、もう一年近くなるかもしれない。
この黒くて大きな家はわたしが引っ越してきたその日もあった。
いつもそこにある風景。
旅人バザーで素材を売っぱらうたびに、その黒くて大きい家が目に入る。
手持ち装備がいっぱいになるたびに、持ち物がいっぱいになるたびに、憤慨しながら荷物整理をする、そのたびにこの家が目に入る。
いつもなんとはなしに目にしていた風景。
昨日もふらっと旅人バザーに立ち寄った。
黒くて大きな家が緑と白を基調とした可愛いらしい家に変わっていた。
訪れたのはちょっとした衝撃と、猛烈な興味。
なんだ、あの家は。
いつもの黒い家はどこに行った。
湧き上がる興味を抑えきれずに、その家に近寄ってみた。
前の人が立て替えたのかしら。
それとも引っ越したのかしら。
可愛いお家だなあ。
あの扉の感じが可愛い。
課金で買えるやつかな。
週末の疲れきった頭にフワフワと浮かんでは消えていく感情。
とりとめのないそれらで頭の中が真っ平らになっていく。
ふと気づくとルーラストーンの効果音と同時に家主の方が。
あ、ヤベ。
これ不審者と思われるパターンだ。
こちらに悪意は無いにしろ、自宅の前で見ず知らずのウェディが佇んでいたら怖いだろう。佇んでいたのが、ドワーフだろうとエルフだろうと、怖いはずだ。
わたしはなるべく距離を取りつつ、平静を装いながら声をかけることにした。
理由らしい理由はない。
ちょっとしたパニックに陥っていたというのもあるだろう。
ただなんとなく。
同じ住宅村に住んでいるこの人にほんの少しだけ興味を持ったのかもしれない。
というのも、ここに住み着いて以来、住民らしい住民を見たことがない。
声を掛けた内容はあまり覚えていない。
わたしは怪しいものでは無いけれど、このお家が可愛くて眺めていました
素敵なお家ですね
そんなようなことを話したような気がする。
特に怪しいものでは無いんだ、決して危害を加えるつもりはないんだ、その辺を強調して話しかけたような気がする。
今にして思えば、「怪しいものではありません」と自ら名乗り出る人間は大抵怪しいのだ。
しかし、そんな怪しさ全開の人間に、このお方は気さくに対応してくれた。
おお、なんだかオンラインゲームっぽいぞ
この流れ
知らない人と話すのは緊張するものだ。
このときは、オンラインぽい流れにちょっとだけワクワクした。
交わした言葉はどれもたわいもない言葉だった。
1日寝て、起きたら忘れてしまうような、そんな言葉。
オルフェアの住宅村の夜空ににぽっかりと浮かぶ白色の吹きだし。
ささやかだけれど。
可愛らしくって。
でもすぐに消えてしまうんだ。
ログにずっと残しておくことはできない。
それでも
そのすぐ消えてしまう吹きだしで
いつかは消えてしまうようなささやかな言葉を乗せて
たくさんの出逢いと冒険を紡いでいくんだろう。