おがみ姉さんとバルサと児童文学と
おがみ姉さんを作成するにあたって思い浮かんだのが、上橋菜穂子先生著作「守り人シリーズ」のバルサ。
そんなんじゃない!てファンの人に怒られそうだけど、雪に閉ざされたカンバルがランガオーガ村みたいだったし、オーガの女性がバルサを彷彿とさせる。
一回読んだ本は二度と読まないわたしが、何度も読み返してはドキドキしたり感動したり、泣いちゃったり・・・。
守り人シリーズは大好きな小説の一つです。
少し前にアニメになったり、ドラマにもなりましたね!
ファンとしては喜ばしい限りです。
ただ、わたしにとっての守り人シリーズはやっぱり小説の守り人シリーズなので、映像作品を見る勇気がありませんでした笑
どんなに素晴らしくても、イメージってのがありますからね。
同じ理由で敬愛してやまない司馬遼太郎先生の映像作品は避けてしまうわたしがいます。
守り人シリーズはジャンルとしてはファンタジー小説になるのでしょうか。児童文学?
よく、児童文学を紹介するフレーズに「大人も読める!」とか「児童文学の域を超えた!」という文言が見受けられるけれど、児童文学こそ緻密さだったり、リアリティが必要なんじゃないかと思うのです。そりゃ大人が読んでも楽しいわけさ。
全ての小説において一番大切なもには「リアリティ」だと思う。
言葉にできない哀しさ、喜び、怒り、それでも生きていれば希望があるということを、伝える為の物語であり、やはりその為に何より大切なのが「リアリティ」。
嘘くせーーーー!って思いながら読んでたらつまらないでしょ?
え?それでそれで?どうなるの!?どうなっちゃうの!?と思わせるには「リアリティ」が重要なのです。
そうして、そのリアリティが最も問われるのが児童文学だったり、ファンタジー小説なのだとわたしは思う。
一見矛盾しているかもしれません。
でも、虚構の世界を舞台にした物語の場合、どこかに綻びがあると読者は引き込まれないですよね?
世界観、人物描写、ストーリー全てを緻密に練りこまないと「偽物やろ」と思ってしまうわけです。その偽物さ、チープさが好きな場合もあるけれど。
児童文学で有名なのは「ゲト戦記」だったり「はてしない物語」でしょうか。
金字塔と言っても過言ではありません。
はてしない物語はラスト感動したなぁ。
これら作品に共通しているのは、「緻密」な描写と、子どもの頃に誰しもが抱いたことのある「孤独感」。
読書が好きな子どもって、「周囲に馴染めない子ども」が多い気がする。少なくともわたしはそうだった。
同世代のお友達と、学校の先生と。ちゃんとした人間関係というか世界を作れる子どもは好き好んで本を読んだりしない気がする。遊ぶのに夢中だからね。そこで本を読む時間はないんじゃないかな。
どこか不安定で周囲に馴染めなくて。温かな家庭もあるし、帰る場所だってある。でもなんだか自分の居場所を見つけられない。それでも自分の世界を作りたくて物語の世界に惹かれていくのではないかと思います。
児童文学と言われる作品には、そう言った孤独を抱えている登場人物が多い。
それは読者が抱えた孤独に寄り添う形でもあるわけです。
わたしが守り人シリーズを読んだのは社会人になってから。
あの憂鬱だった子ども時代にこの作品に出会っていたら、と時々残念に思う。
きっと何か大きく変わることはない、けれど、今とはまた違った作品になっていたんじゃないのかな。
守り人シリーズの主人公はバルサ。短槍使いの女用心棒。物語はバルサがチャグムという少年を助けるところから始まります。
バルサはとても強い。傷だらけになりながら、それこそ血反吐吐きながらそれでも前に進んで行きます。
どんな物語かは・・・みんなに読んで欲しいなぁ。
シリーズの最後は涙が止まらなかったよ。
守り人シリーズについてもうちょっと掘り下げて書きたかったけど、「好き」の気持ちが強すぎて、冷静に書けませんでした笑
またいつか記事にしてみたいな。
あと、敬愛してやまない司馬遼太郎先生の作品についてもいつか書きたい。それこそ「好き」の気持ちが強すぎてナニイッテルカワカリマセン状態かもしれませんが。
司馬遼太郎先生のファンですって言うといろんな人から「し・・・渋い!」って言われるけど、歴史小説の中では一番読みやすい作品だと思うので、全然渋くないですw
ドラクエ記事じゃないのはサソリのせいでネタがないからじゃ・・・ないんだぞ!?