竜馬がゆくを読んで
空いてる時間でコツコツと。
夢中になってガッツリと。
気づいたら2巻目を手に取り、あっという間に5巻目に突入して、とうとう読み終わってしまった。
文庫本全8巻、竜馬がゆくーー。
1日の終わりにひっそりと読んでいた。
自分へのご褒美にも似た時間だった。
読み終わってしまったのがーーなんだか少し淋しい。
この小説の感想を書けるほど幕末史に詳しくはないし、文章も上手くないし、でも感動してしまったので、こんなブログを更新している。
どこかに吐き出さないと、あまりの熱量にやられてしまいそうなんだ。
司馬作品の入り口は「燃えよ剣」。
でも入り口の入り口は父親だった。
父親に「アレをしろ、コレをしろ」と言われた記憶があまりない。
むしろそういうことを嫌う人だったのかもしれない。
そんな父親に勧められた本が「燃えよ剣」。
多感なーと言えば聞こえがいいけれど、周囲と馴染めない、「ちょっと浮いちゃってる子」だったわたし。
そんなわたしの孤独な心を惹きつけて離さない魅力があった、司馬作品には。
高校受験真っ只中だったわたしは、勉強する間を惜しんで、司馬作品を読み漁った。
塾では教科書に隠して読んだ。先生に「そんなに面白いのか」って聞かれた。
面白いですよ。10年以上たった今でも、読み返して、胸が熱くなって感動して、涙が出たり、こんなブログに書いちゃうくらいには。
司馬遼太郎は言う。
「この小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎生まれの、地位も学問もなく、ただ一片の志をもっていた若者にもとめた。」
「事をなす人間の条件」って一体なんだろう。
カリスマ性?
才能?
血の滲むような努力?
どれも当てはまっているようでいて、たぶん違う。
たぶんそれは、「恵まれた何かーバックボーンだったり才能だったりーを持っていること」ではなく、かといって闇雲に努力することでもなく。
将来のビジョンー志ーを持ち続けること、なんだと思う。
志を持ちながらも「現実」を見極める冷静さと、自分を見つめ続ける強さを持つこと。
そうして、「では一体自分はどうやって生きていくのか。生きていきたいのか」を考えて実行していくこと。
それこそが、現実を変える力になり、いつしか「事をなす人間」の条件となるのだろう。
ー「しかない」というものは世にはない。道は常に幾通りもあるー
この一文を読んだ時、ハッとした。
わたし達はー少なくともわたしは、現実に打ちのめされ、「だって○○だから無理なんだもん」と決めつけ、自分で自分の道を閉ざしてしている。
でもそうじゃない。そうじゃないんだ。
どこかに道はあって、ただそれを見つけようとしていないだけ。
常識という枠組みにとらわれ、道を見つけられないでいる。
あったとしても、困難さ故に「無理だ」と決めつけ、諦めてしまう。
志を持つことが「諦め」や「決めつけ」を飛び越える力になるんだろう。
竜馬は今よりももっと身分制度の厳しい時代に生まれた。「変えることのできない現実」を常に突きつけられながら。
それでも「志」を持ち続け、「ではどうしたらいいのか」を常に考え、そうして当時絶対に不可能だと思われていた「薩長同盟」を斡旋し、「大政奉還」を成功させた。
小説だし、創作の部分は多分にある。
史実とかけ離れている部分もあるだろう。
それでもこの小説には「きらめき」のようなものに満ち満ちている。そのきらめきが心を掴んで離さず、熱さが胸に突き刺さる。
この「熱さ」はいつの時代の人間が読んでも変わらないと思う。