ゆりこんぐのブログ

主にゲーム、読書、好きなことをゆったり、時に熱く。お暇な時に読んで頂けると嬉しいです。

キングダムハーツとディズニーとプーさんと たぶんノスタルジー

キングダムハーツⅢをプレイしていてふと思い出した事がある。

それは、わたしはディズニーが大嫌いな子供だった、ということ。

 

「そんな悪と正義がキッチリ分かれるかよ。勧善懲悪だけの世界なんて底が浅い。ケッ!」って思ってたし、ディズニーが好きな同級生は軽蔑していた。

(それでも同じく勧善懲悪でできているはずの「水戸黄門」はなぜか好きだった)

今にして思うとなんて捻くれた子供だったんだろう。捻くれた者だったわたしは、いきなり歌い出すあのテンションにもドン引きしていた。

 

では大人になったわたしがディズニーを大嫌いなままかと言えば、そんなことはなく。

むしろ「ライオンキング」とか観たら一緒に

♪ハクナマタタ〜

とか歌っちゃうし、「美女と野獣」を観たら普通に泣いちゃう。

好き嫌いがなくなるように、大人になってからの方が物事に対して寛容になるのかもしれない。

 

子供の頃、思っていた事が間違っていたかといえばそんなことはない。

 

悪と正義をキッチリ分けられることなんてほとんどないし、やりきれないことばっかりだし、人知れず傷つくことの方が多いし、歯をくいしばって「ちくしょう」って思うことばかりである。

遣る瀬無さが募って、毎日クッタクタになって、でもそういう時に、ディズニー映画を観ると、不思議と「馬鹿馬鹿しい!ケッ!」という気持ちはなく、素直に「いいなぁ。素晴らしいなぁ。夢があるって素敵だなぁ」と感動する。

ついでにディズニーのキャラクターが歌いだしても「伸びやかでいい歌声だなぁ。」とか。

「こういう場面は、歌で表現したくなるよなぁ。」とか。

まさに夢と魔法の世界を楽しんでしまうのである。

 

今よりもだいぶ捻くれた、こしゃまっくれた子供の頃のわたしが唯一好きだったディズニー作品。

それがー

f:id:yurikongumaru:20190203215052j:image

くまのプーさんだった。

 

くまのプーさんはディズニー映画にありがちな、主人公が仲間と協力して悪をやっつけるとか、そういうところは一切ない。

 

原作者のA.A.ミルンが息子のクリストファーの為に書いた物語。

クリストファーがテディベアと遊んでいるところを物語にした児童小説。

 

子供の頃、誰もがしたぬいぐるみ遊び。

些細な妄想が妄想を呼んで、物語が思いもよらない方向へ進んでいくー。

おかしくもどこか温かみがあって、それなのにちょっとだけ胸が締め付けられるようなーあの世界をミルンはよく表現しているなぁと思う。

子供の頃のわたしはあの温かさが好きだったんだろうか。

「ディズニーなんて、ケッ!」ていう反発心から、「悪と正義」とか「勧善懲悪」とか、そういう線引きのない世界を選んだんだろうか。

 

子供の頃好きだったものに理由なんてないだろう。大人になって見える景色も変わってしまった今ならば尚のこと。

 

それでも、子供の頃の心象風景ー

放課後のサッカーボールを蹴る音とか、ふざけ合う声だとか、日向くさい図書室のカーテンだとか、夏のプールの銀色の手すりとか、冬に見た星座とか、その時吸い込んだ冬の匂いとかなんだかそういうものー

の一部として確かに「くまのプーさん」はそこにあって。

思い出す時にある種の切なさと一緒に泣き出したいような、なんだか胸を締め付けられる感じがするのだ。