そして、バトンは渡された
瀬尾まいこ先生著作の「そして、バトンは渡された」読了致しました。
この本て2019年本屋大賞受賞してたんですね。
今更感半端ないですけど、感想などをぽちぽち。
「家族」が大きなテーマの本作。
そもそも家族ってなに?
血の繋がりがあれば家族?
「水は血よりも濃い」とは言うけれど、家族としての絆はそれだけ?
だとしたら淋しすぎる。
一緒に過ごした時間?
時間経過だけでは「家族」とは言えないような気もする。
何をしたら「家族」と言えるのか。
「家族」になれるのか。
主人公の森宮優子は一見クールで達観しているように見えるけれど、その実、「家族」というものを探し求め続けている。
なんせ、4回も名字が変わってしまうくらい、親が変わってしまったのだから。
それだけ聞くと「オイオイ、おめー不幸やんけ!大丈夫なのかよ!波乱万丈すぎるだろ!」と思ってしまうけれども、どの親からも深く愛されてきた優子。
だからこそ、「本当の家族になりたい」って思うんじゃないかな。
どこに行っても、何をしていても、例え離れてしまっても「家族だ」って思える何かが欲しいって。
「家族」って普遍的で当たり前すぎるけれど、千差万別すぎて、一言では「こういうものだ」とは言えないものかも・・・。
その存在をふかーくふかーく考えていくと、煮詰まったジャムができあがりそうな、そんな存在。
人によっては煮詰まったジャムを通り越してドロッドロの腐乱死体一歩手前のダークマターができあがりそうでもある。
瀬尾先生の筆がさらっとしているからでしょう。
必要以上に湿っぽくならないし、ダークマターはできあがらない。
たまに、ダークマターの極みみたいな作品に遭遇してしまう時がある。
極上のダークマター。
苦手なんだよなぁ・・・。
瀬尾先生の筆はからっとさらっとしていて、時にコミカル。
なので、わたしのような「ダークマター苦手党」でも、さささーっとふむふむクスクス、読めちゃいます。
なんか本を読みたいんだけど、重たいのはちょっと・・・という時に良いかもしれない。
読書:横綱級な人には物足りないかも?
わたしは楽しく読めましたが。
特に3人目の父親である森宮さんと優子のやりとりがとってもコミカルで微笑ましい。
「フフハッ」とちょっと変な声がでちゃう。
電車の中で読むときは要注意ですね。
些細なことから友達とうまくいかなくなってしまった優子に餃子をやたら食べさせまくるところとか。
励ましが餃子って!
でも優子はちゃんと食べるんだよな。
森宮さんの不器用な励ましごと。
「ごはんを作る」ってことも愛情表現の一つだとは思うけれど、「作ってもらったものを食べる」ってことも、時に愛情だよね。
おいしくてもまずくても、なんか味がイマヒトツな時でもさ。
食べたもので体は作られていくけれど、それは愛情で人間ができあがっていくってことなのかもしれない。
体脂肪率を測ろうとして「愛情は100%です!」て言われたら素敵かも。
からっとさらっと、時にコミカルなのに。
親と別れる度に襲う胸を抉るような哀しみ、叫びたいような淋しさ。
言葉では言い表せない辛さが、時にまざまざと、ハッとするほどの鮮やかさで描かれているので、油断していると鼻の奥がツンとして、涙がポロリ。
やっぱり電車の中では読めないかも(笑)
印象的なのは森宮さんが優子と出会ったことを
「明日が二つになった」
というところ。
自分の明日と自分よりたくさんの可能性を含んだ明日。
ほろりと来ちゃうラストよりも、ここが一番胸に迫ったなぁ、わたしは。(あ!ラストも素晴らしかったですよ!)
何よりも「明日が二つ」って言葉が素敵だよね。
家族って、かったるくて、口やかましくて、時にめんどくさくて煩わしい。ダークマター製造機になり得る時もある。
ーーーでも。
自分の明日を、未来を増やしてくれる人たち。
自分の未来を増やしてくれる人が、もしかしたら「出会うべき人」なのかも。
でも「出会うべき人」は家族や夫婦や恋人だけじゃない。
離れてしまったら最後、確かにそうだろう。
だからこそ、「出会うべき人」と出会えた「現在」が、「今日」が、愛すべき毎日なんだよなー、なんてことを思えちゃう、素敵な作品でした。
余談ですが、おいしそうなごはんやらデザートやらおやつを食べるシーンがたくさん出てくるので、猛烈な空腹時はもちろん、小腹が空いた時に読むのは要注意ですね。