田舎暮らしも悪くないよ
田舎暮らしだと、「貨幣制度とは・・・。」と思う事が多々ある。
キャッシュレスのその前にキャッシュ・・・の前に未だに物々交換の時代を生きている気がする。
何かのお礼にはとりあえず野菜!
ご挨拶には野菜!
なんもないけどとりあえず野菜!
野菜(キュウリ、トマト、いんげん、ジャガイモ、トウモロコシetc)ができたから持って行きな!
卵も持って行きな!
果物も持って行きな!
留守だったから玄関に置いとくよ!(ドドン!)
そんな感じです。(どんな感じ?)
何かのお礼でお菓子ってあんまりもらった事がないかも・・・。
退院祝いとか畏まった奴は別だけど。
お葬式も未だに班単位だし。
この「班」て制度は東京とか都会にもあるのかしら?
我が家は畑はやっていないので、野菜のお誘いは非常にありがたいんですね。
お返しするものがなくて心苦しいのだけれど、毎回呼ばれればすっ飛んで行きます。
今日も、ご近所さん・・・とはちょっと遠いお宅から「野菜ができたので」のお声をいただき、早速出動して参りました♡
例によって例の如く、写真は撮り忘れてしまったんだけど、根こそぎ頂いて参りました。
あそこの家、ニワトリいるの知ってんねん。
良い卵産むのも知ってんねん。
敢えてニワトリ&卵の話してやったねん。
「じゃあニワトリのお世話大変ですね!チラチラっ!卵チラチラ!」
してやったねん。
案の定getできたねん。
うーっくっくっく。
今日お伺いしたお宅は、今の職場の元上司宅。
元上司宅なのに、2時間くらい居座り続けてしまいました(笑)
だってコーヒ出てきたり、お菓子出てきたりするんだもん。
犬がいたり、メダカがいたりするんだもん。
・・・長居して申し訳ありませんでした。
おいしいお野菜もたくさんありがとうございました。
在職中ならず、退職してからもお世話をされ続けています。
このお方はスーパーおじいちゃんで、今の職場を作ったと言っても過言ではないと思います。
でも、どんなにその人がすごい人でも、才能を持った人でも、人脈を持った人でも。
いずれ終わりは来てしまう。
悲しいかな、人間というのは無限ではなく有限なのです。
最近わたしが思うのは、個人としての能力が高いこと、はもちろん大事なことではある。でもそれ以上に「能力の高い人間を作る」ってことが大事なんじゃないかなあと思うのです。もしくは、そういう仕組みを作るってことが、大事なんじゃないかなあと思う。
まぁ、どんな仕組みや環境があったって、ダメな奴はダメだけどね。
でも、次の世代に繋げていくってことは、繋げようとするってことは大事なことだと思うよ。
例えば、このスーパーおじいちゃん(今はスーパー農家)もそう。
スーパーでもやっぱり終わりが来てしまう。
スーパーマンが終わってしまったその次の世代をどうしようか、ってことを考えて組織を作っていかないと、いずれは破綻してしまうわけです。
そうして、今の職場はまさに破綻しかけている(笑)
本当にこのまま潰れるんじゃないかなあって思う。
スーパーおじいちゃんが守ってきた職場を、守ってあげられなくてごめんねとは思う。
この人も、あんなに一生懸命作り上げたものが瓦解していくのは見たくないだろうなあとも思う。
個人の能力差をなくす、って言い方は淋しいけれど、「この人じゃないとできない仕事」ってのは組織にとって良いようで悪いと思うんですよね。
一番良いのは誰が抜けてもある程度の成果を上げる事ができる組織、が強いんだと思います。
ワンマンは良くない。
また、次の世代が「成果を上げる」事ができるようになるまでは結構な時間が掛かる。
能力だけでなく、経験も、人脈も。
長い時間を掛けないと培われないものってやっぱりありますよ。
人間て、勝手に出来上がるものじゃなくて。
カップラーメンみたいに時間をかければ出来上がるものじゃなくて。
やっぱり社会が作って行くものなんだろう。
会社が、学校が、家庭が。
いろんなものや人が関わり合ってようやく一丁前の人間が出来上がる。
でもそこには、「特別なこと」なんか一切ない。
むしろ、普段の何気ない生活が積み重なってちょっとずつ出来上がって行く。
例えば挨拶をしなさいとか。人の目を見て話しなさいとか。口に物を入れながら喋るんじゃないとか。
そういうちょっとしたことから始まるんじゃないかなあって思うの。
まぁ、こんな偉そうなこと言ってますけど、わたしは一丁前どころか、0.3人前くらいで、まだまだだなあって思います。
んー
いつか0.7人前くらいにはなりたいかな。
あと二倍近くもあるやん!
とりあえず、美味しい野菜でも食べて今を一生懸命やっていくしかないよね。